田端は、明治の中頃、雑木林や田畑の広がる閑静な農村でした。しかし、上野に東京美術学校(現、東京芸大)が開校されると、次第に若い芸術家が住むようになり、明治33年に小杉放庵(洋画)が下宿し、36年に板谷波山(陶芸)が田端に窯を築くと、その縁もあって、吉田三郎(彫塑)・香取秀真(鋳金)・山本鼎(洋画)らが次々と田端に移ってきました。
画家を中心に、「ポプラ倶楽部」という社交の場も出来、まさに「芸術家村」となりました。
対象3年、芥川龍之介(小説家)が、5年には室生犀星(詩人・小説家)が転居してきます。続いて、荻原朔太郎(詩人)・菊池寛(小説家)・堀辰雄(小説家)・佐多稲子(小説家)らも田端に集まりました。
明治から大正・昭和にかけて、その時代を駈け抜けるように大家も新進気鋭も、詩に歌に文学に、そして陶芸、彫刻、絵画・・・に燃え、輝き、慟哭した場所があります。『文士村』『芸術村』とも呼ばれた田端。その面影を絶やさぬように、特別純米酒が生まれました。
Comments